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「お湯をゆっくり注ぎすぎた」という話

日記

図は、コーヒーを淹れるときに遅すぎる速度でお湯を注いでいる写真。
コーヒーになって落ちる量よりも注がれるお湯の量が少なすぎて、真ん中が陥没してしまっている。ちょっとやっただけで劇的に不味くなるわけではないが、美味しくなる注ぎ方とは言えないと思う。


ところでこういう場合によく「お湯をゆっくり注ぎすぎた」という表現をしてしまうことがあるけどそれは間違った日本語なんだろうか? といつも気になっている。
「お湯を注ぐのがゆっくりすぎた」なら素直に読めるが、「ゆっくり注ぎすぎた」と言うと、お湯の量が多すぎたのか速度が遅すぎたのか分からない。


同じような表現で、「早く集合場所に着きすぎた」という表現も聞いたことがある。「着きすぎる」とは何だろう。
あと「たくさん写真を撮りすぎた」なら多分問題ないが、「たくさん連写しすぎた」と言うと枚数の多い連写撮影をしたのか、連写撮影自体を何度もしたのかが不明になる。


単に、どこに係っているのかが曖昧というだけの話ではあるけど。
僕は文脈を読むのが苦手なので違和感が残ってしまっている、というだけのことかもしれない。